現在、このブログはアップデートしていません。 新しく下記WEBサービスを始めました。 ブログもそちらへ移行しています。
ぐるりんまっぷ ぐるりんまっぷ

2008/12/04

ミッシングリンク

The theory of evolution. ダーウィンが唱えたこの有名な説は、またその説の脆弱性ゆえに仮説の粋をでないことも、これまた有名である。ダーウィンは、ガラパゴス諸島という特殊な環境に生息する生物をサンプルとして論を展開した。曰く、生態サイクルの中で突然変異固体が生まれる。それが環境とあった優等種であれば、その優等種は子孫を残すことができ、劣等種は自然淘汰される。その繰り返しにより生物は進化していくとのことだが、残念なことに何千年、何億年という歴史を観測できるわけはなく、あくまで仮説ということになる。
ダーウィンの説が証明したことは、ガラパゴス諸島の亀とイグアナの適応能力は、すごいぜ!ということだけである。

さて、ピテカントロプス・エレクトゥスというおばかさんがいる。
どの辺りがおばかさんかといえば、ホモ・サピエンスというおりこうさんから比べて脳の容積率が極端に少ないということらしい。このおりこうさんとおばかさんは生物学的には全く異なるのだが、ダーウィンの考え方を踏まえた上で、このおばかさんはおりこうさんの先祖ではないかといわれているそうだ。
つまり、我々のおじいちゃんはバカだったというのだ。いやん。
無礼な!我々は、神様がご自分に似せて創作された生物なのだ。おじいちゃんがおばかさんであるとは何事だ!ということなのかは知らないが、米国のいくつかの州では、学校でダーウィンの説を教えることを禁じているらしい。あまり科学的な態度ではないように思われるが、ダーウィンの説が正しければピテカントロプス・エレクトゥスとホモ・サピエンスの間に進化過程の中間種が存在しなければ論が破錠してしまう。だが、アウストラロピクテス(Australopithecus)だとか、ネアンデルタール人(Homo-neanderthalensis)は、ミトコンドリアDNA分析ではヒトに近い塩基配列を示すとされていたが、ネアンデルタール人などは、ヒトの直接の先祖では無いということが統一見解のため、話がスッキリしない。このままでは、ピテカントロプス・エレクトゥスはある日突然、ホモ・サピエンスへと進化したことになってしまう。つまり、これもまた科学的ではないのだ。

科学的という言葉の定義もやや明確でない部分も多いが、端的に言ってしまえば世界に溢れる事象というものに理論的説明を付与する事が科学的なものの考え方だと思われる。

映画「2001年宇宙の旅」では、おばかさんにインスパイアを与える存在があったと描いている。その存在が、おばかさんにTOOLという概念を与えたというのだ。つまり、モノを使うという概念だ。
(この存在は黒板[モノリス]を介してインスパイアを与えたと定義されている)

ホモ・サピエンスという生物が地球上で唯一モノを使うことの出来る生物であり、このインスパイアこそがおばかさんの思考回路を急速的に飛躍させ、脳の容積率を肥大させえたのではないかというわけだが、残念ながらこの解釈にも疑問が残る。なぜならば、モノを使う生物は他にもいるわけだ。蟻塚のアリを採取するために棒を使うチンパンジーや胡桃を割るために自動車の通過を利用するカラスの話などなど、この手の話はいくらでも出てくる。あるキッカケが、おばかさんに飛躍的な進化を促したという考え方自体は頷けるものの、それはどうも道具を使うという概念ではないようだ。

そこで、私の仮説を披露しようと思う。

のび太が過去に行った際、タイムふろしきを置き忘れていった説だ。

どうだろう?
野比のび太という人物は皆さんご存知の通り、迂闊だ。
この迂闊な人物が、過去に行った際にタイムふろしきをピテカントロプス・エレクトゥスにかけてしまったのではないのだろうか。タイムふろしきとは皆さんご存知の通り、物質を覆うことにより風呂敷内の時間が逆行したり進行したりする道具である。標準寸法は1メートル四方。正規品にはウールマークに似た「タイムマーク」が付いている。時間を進行させたり逆行させるために布の表と裏を使いわける。布は五重構造になっており、表の面から裏の面に向かって、時流漏洩防止膜、未来流ファイバー、タキオン織りこみゾーン、過去流ファイバー、時流漏洩防止膜となっている。物体を包むと、タキオン織りこみゾーンより外の面に向かってタキオンエネルギーが放出される。(『ドラえもんひみつ全百科』より引用)。ことほど左様に未来の道具であるタイムふろしきこそが、ピテカントロプス・エレクトゥスの進化を急速に促したキッカケではないかと思われるのだ。この説を踏まえれば、ダーウィンの論が破錠することなく、ピテカントロプス・エレクトゥスがある日突然、ホモ・サピエンスへと進化したということに説明がつく。

まず、「ドラえもん」という漫画を藤子・F・不二夫氏の単なる創作物だと考えていては、この説には至らない。あらゆる創作物には、大なり小なりモデルとなる事象があるものである。残念ながら藤子・F・不二夫氏は故人である為「ドラえもん」という創作物にモデルがあった、もしくはなかったとは誰も言い切れなくなってしまったが、仮にモデルがありノンフィクションだとした場合、野比のび太氏こそが、我々が神と抽象するところの創造主であるという仮説が成立するのである。

話がいささか飛躍しすぎではないかと読者諸氏に置かれては鯨飲し難いところであろうとは思うが、よく考えてみてほしい。証明が出来ないという点に着目すれば、私の与太話とダーウィンの説との間になんら優劣の差はないのである。

2008/11/25

なんちゅーーうか ほんちゅーか

ボーイング747再び:
機上の人である。かっこいいじゃないか。
これが、机上の人であれば机の上で踊りでも踊っている変態的な人のようであるが、間違えてはいけない。機上の人である。機上の人としてシルクロードを飛び抜けた。

実を言うと、私は本中華にいる。
昔、なんちゅーーうか ほんちゅーかと巨ちゃんが言っていたやつだが、ちょっと待ちたまえ。これは天竺日誌ではなかったのかねと疑問を呈することであろう。そうなのだ、天竺日誌などと名乗っている手前、とりあえず天竺にいるフリをしていたのである。なんとなれば、天竺で書き散らかした文章が幾つか溜まっていたので、天竺日誌で場を繋ぎ、少し時間を置いてから本中華に変更する予定だったのだが、諸他の事情から少し予定を早めた。

諸他の事情:
現在投稿されている天竺論文は、天竺滞在時に書いており、時間が来ると自動的に公開されるように設定していた。細かい文章の修正を公開前に行うつもりだったのだが、なんと本中華ではアメーバの投稿ができないことが判明。本中華当局からのIP規制なのかアメーバの素敵な仕様なのか原因は不明であるのだが、修正不可な論文が自動公開されてしまうことになってしまったので、早々にブログの移管をし新タイトルで新規ブログを立ち上げることにした。

懸念事項:
内容及び投稿日時変更不可な状況のため2008年11月24日に論文「フランスパンのおはなし」が天竺日誌にて公開。そして同年12月1日に二つ公開。若干文章の修正を入れたくもあるのだが、本中華からの修正不可となるので涙を呑むしかない。さらに同年12月8日に「2001年宇宙の旅 #2」が公開されるのだが、これが痛い。まだ文章の校正も終わっていないアイデアノートレベルの文章だ。あ”~最悪。早々に文章校正を施し本ブログ内での公開が急がれるところだ。上述の事情によりブログサービスの選定時間もなく英語版と同じBloggerへと移管することにしたのだが、Bloggerは日本語が化ける場合があると聞いたことがある、多言語対応であるXPが普及している現在、文字化けは考えにくいとも思うのだがBloggerのフォントセットはUTF8だ。
ちょっと心配。

ブログタイトル考察:
さて、先のカレーは天竺日誌と名づけた。今度の本中華はラーメンであるので、さしずめ中華三昧であろう。中華三昧はすごいぞ。明星だ。明星といえば一平ちゃんやチャルメラではないかと考える御仁もおられるだろうが、やはり通ならば中華三昧を外してはいけない。
故にタイトルは「中華三昧」とする。

参考文献:「本中華

2008/11/10

佐藤に花束を

世の中に産業製品数あれどワインほど品質にブレのある製品もないのではないだろうか?同じシャトーであるにもかかわらず、何年ものが良いだの悪いだのと冗談としか思えない話である。

ビンテージの何年ものが高値をつけたなどと平気な顔で主張されても、それは品質が安定していない証拠であり、恥ずべき話であるはずだが、ワインの世界では許されているようで不思議だ。

などと、文句ばかりを並べてしまったが、ワインは好きだ。
メルシャンは飲まないよ。葡萄ジュースにアルコールが入っただけの代物はごめんこうむる。とはいうものの、高いワインで散財するほど愚かではない。

チリだのオーストラリア産がいいですねぇ。同じ価格帯でいえばフランス産のワインなど駄ワインしか存在しないのは明白なので、迷う必要すらない。

さて、天竺産はどうかという話になるのだが…
良いワインを発見しちゃいましたよ。SATONIの赤だ。
ボディはしっかりしつつも、若さ酸味の残る。良いワインだ。何よりもそのボディ。コクがしっかりしている。ちょっとした渋みはあるものの、その若さが渋みをカバーしてる。おそらく1年と寝かせてはいないのだろう。
なんか偉そうなこといってますね。田崎真也か山本益博みたいだ。

究極の選択です。薄いのとちょび髭。さぁ、どっち?

もちろん、どっちも嫌だ。

JAPANESE/ENGLISH

2008/11/05

天竺的冬季考察

「ダンナ、ダンナ♪日本の旦那♪今日は一緒に帰りやしょうよ」
「なんだい、ベンさん。あらたまって?」
「あらたまっても、なんでもねぇでやんすよ。天竺人のアッシが、こう手を上げてもね。リキシャの野郎が停まってくれねぇもんでさ。日本の旦那のお力を拝借してぇって、そういうわけでやんすよ」
「そりゃ、ベンさん。おれが手を上げたって同じってもんだよ」
「そんなことはねぇでやんすよ。旦那は外国人だからね。リキシャの野郎も気を許して停まってくれるっていうのがアッシの作戦でさぁ」
「おぅ、じゃ、ものはためしってこともあらぁな。試してみようじゃねぇか」

さて、この二人。一生懸命リキシャを停めようと企んだのですが、そうそう簡単には停まらない。ガンジス川の夜も深まる頃にようやく一台のリキシャが停まり、車内で日本の旦那が文句をいう。

「なんだい。ベンさんの計画もうまくいかなかったじゃないかい」
「いやこれは、時間が悪いってぇもんでやんすよ。暗いのが敗因ってもんでね。昼間だったら、旦那の顔を見たリキシャの野郎はすぐ停まるってもんでやんす」
「そりゃ信じられねぇなぁ。ベンさんよ」
「まぁまぁ。そんなこだわっちゃいけねぇよ。こうやってリキシャを拾えたんだから、いいってもんでやんしょ。忘れやしょ。おぅ、ところで旦那の国じゃ、これから冬になるって小耳に挟んだんでやんすが、そりゃなんでやんすかい?」
「なんだい急に話題を替えやがって、まぁいいや。そうさなぁ。天竺のベンさんが冬を知らないってのも無理はないが、無知ってのも哀れなもんだな」
「そうでやんしょ。冬って奴を教えてくださいよ。気温がまいなすになるってぇとこまでは、聞いたんでやんすがね」
「なんだい。知ってるじゃないかい。ベンさんよ」
「へへ、褒められると困っちまうんでやんすがね。気温がまいなすってことは、どういうことでやんすかい?」
「どういうことって、まいなすってやつぁ。寒いんだよ」
「寒いんでやんすかい?」
「ああ、寒いね。こりゃ寒い。もうね、なんでも凍るんだよ。雨だって凍っちまう」
「おぉ、雨が凍っちまうんでやんすかい??」
「おうよ、伴天連の言葉じゃ。すのぅっていうやつよ」
「さすが、まいなすでやんすなぁ」
「だろ。しかも、雨が凍るなんてのは序の口よ」
「序の口なんでやんすかい!?」
「おうよ。天竺のベンさんには想像がつかねぇだろうがな。たとえば、日本で便所に行こうとするだろ。すると、便所にはトンカチがあるんだ」
「便所にトンカチ?そりゃなんでやんすかい?」
「わかんねぇかなぁ。ベンさんが便所で小便をするとするだろ。すると、小便が凍っちまうんだ」
「おぅ。小便が凍っちまうんでやんすかい??」
「おうよ。なんつったって、まいなすだからな。で、小便が凍っちまうとトンカチが必要だろう」
「いや、旦那。そのトンカチが必要ってところが、よくわからないんでやんすがね」
「ったく、ベンさんは学がねぇなぁ。小便がしてる先から凍っちまうと、どうなる?」
「そりゃ、大変でやんしょうな」
「そうよ。凍っちまうと、ちん○んと便器が繋がっちまって取れなくなっちまうからよ。そうなるとトンカチが必要だろ?」
「小便を割るために必要だってやんすかい?」
「おうよ。頭の回転がはやいじゃねぇか。凍った小便を割るんだよ。なにしろ、便器と繋がったまま春まで待つわけにはいかねぇからな…ん?なんだい、その顔は?」
「そりゃ、いくら旦那の話でも信じられねぇってもんでやんすよ」
「それじゃなにかい。ベンさんは日本に行ったことがあるってのかい?」
「そりゃ、ないでやんすよ」
「だから、無知ってのは哀れだというんだよ。天竺の常識は世界の非常識よ。寒い国じゃ便所にトンカチが必要なのよ」
「さすが、まいなすでやんすなぁ」
「だろ。なんつったって、まいなすよ」
「こりゃ一つ利口になったや。ダチの野郎に自慢しにいかなきゃならねぇな」
「だろ。存分に自慢してやってくれや」

こうやって、今日もまた一つ。天竺人に嘘を教えてやったのであった。

2008/10/27

波平の嫁

突然だが、事務所がプネというところへ移転することになった。
いままでは、天竺のムンバイというところに事務所があったのだが、このムンバイというところもよくわかっていなかった。聞くところによると昔、ボンベイと呼ばれていたところだそうだ。あ~なるほどねボンベイか。わかった素振りをしてみるも、よく考えてみれば、私はボンベイも知らないので、ボンベイと呼ばれていたところだよと教わったところで、なんの意味もない。上司に尋ねるとボンベイってのは昔、大噴火があって大変だったところだよと言う。それはきっとイタリアのポンペイではないかと思うのだが、上司なので黙っていた。

ムンバイもよくわかっていないというのに、突然プネだそうだ。注意力散漫な御仁は、プネといえばサザエさんの御母堂様ではないかと考えるかもしれないが、慌てないでほしい。それはフネである。

しつこいようだが、繰り返させて頂こう。
プネとは、フグ田タラ男氏の祖母であるところの、磯野波平氏の連れ合いであるところの、伊佐坂難物氏の連れ合いであるおカル女史の女学校時代からの親友であるところの、あのご婦人とは全く関係がない。

あのご婦人は、イソノのフネであり、インドのプネではないということに気をつけて頂ければ幸いである。

聞くところによるとインドのプネというのは学術都市だそうである。
学術都市。穏やかではない呼名である。
漢字を原義分解すれば、それは術を学ぶ都市となる。どんな術なのであろうか?やはりアレか、白戸三平とかそういったアレであろうか。
伊賀忍法帳に記されているところの忍法雲隠れの術とかそういった術であれば、都合の悪いときに使えると思われるので、憶えておいて損はないだろう。

そこへいくと、イソノのフネは駄目だ。
御子息であるところの磯野カツオ氏の教育を完全に放棄している節がある。
これが、昭和初期であれば良いのかもしれないが、時代の波は確実に磯野家を飲み込んでいるのだ。教育を放棄した嫁に代わって夫であるところの磯野波平氏が逆鱗を飛ばす。「まことにけしからん!」
娘であるところのサザエ女史の罵倒が飛ぶ。「こら~カツオ!」
冷静に考えてほしい、21世紀なのだよ。
姉と実父による虐待ではなかろうかと心配させられるが、やはりフジテレビもそこらへんを考えていたようだ。最近はそのような描写が減ってきた。あの悪戯好きと性格付けされていた筈の磯野カツオ氏が甥であるところのフグ田タラ男氏の夢を壊さんと頑張る良いお兄さんを演じている。まるで優等生だ。
どういうことであろうか。ちっとも面白くないではないか。

そこへいくと、インドのプネは素晴らしい。
世界中の学生がプネを訪れるのだそうだ。やはり白戸三平は偉大だということか。これは憶測だが、影の軍団に出演していた千葉真一もプネで術を学んだのであろう。術を学べるところなど世界中にそうはない筈であるから、あたらずも遠からずと思われる。伊達にサニー千葉ではないのだよ。
サニー千葉というと迂闊な御仁は、千葉県のニッサン・ディーラーではないのかと考えるかもしれないが、慌てないでほしい。サニー千葉というのは、ハリウッドで千葉真一が自分で名乗っている名前だ。

そこへいくと、イソノのフネは駄目だ。
女学校時代からの親友であるところのおカル女史と呑気に井戸端会議だ。
唯一褒めるところがあるとすれば、主婦の定番であるところの芸能界のスキャンダルだとか、皇太子ご一家の話題といった一般的なゴシップを話題にしないことだ。ことによると女性自身だの女性セブンといった雑誌は桜新町では発行されていないのかもしれない。謎は深まるばかりである。

そこへいくと、インドのプネは素晴らしい。
聞くところによると、学術都市だけあり東のオックスフォードなどと呼ばれるらしい。やはりオックスフォードというからにはオックスフォードなのだろう。ハリソンフォードまたはジョンフォードの親戚筋だと思われるが、なにやら穏やかではなく凄い感じがする。しかしながら、不思議なのは東という点だ。地図で確認してみるとプネは天竺の西にあるように思われるのだ。こう逆三角形のインドの左側にあるわけで、どう考えても東には見えないのだ。
これはどうしたことだろうと、しばし考えてみたところ、アメリカ人であるところのハリソンフォードからみて東にあるということなのではないかという結論に至った。至ったのであるが、いまだ釈然としない。
たとえば、地球が平坦な平面状で、世界の端には大きな滝があるというような世界構成ならば話は別だが、地球は文字通り球状である故、ニコチャン大王などは地玉と呼んでいたではないか。そうつまりバスコ・ダ・ガマが大航海時代に世界一周をして証明したように、地玉は丸いのだから、ハリソンフォードから見て東だろうが西だろうがどちらもプネなのである。

幾つかの実例を提示し、インドのプネとイソノのフネの違いを考察してきた本論文の意図を理解して頂けたであろうか。末筆ではあるが、サニー千葉はニッサンの千葉支店ではないということを記し、論を締め括るものとする。

2008/10/21

真天竺的交通事情

天竺には公共の乗り物が五種類ある。
一つ目はリキシャ。二つ目はバス。三つタクシー。四つ浮世の醜い鬼を。五つ五人の仲間 ボルテスⅤに 全てをかけて やるぞ 力の尽きるまで 地球の夜明けは もう近いというやつである。賢明な読者諸氏においては気づかれたことと思われるが、最後のボルテスⅤは嘘だ。そんな乗り物はない。

嘘の乗り物の話をしても仕方がないので、本当の話をしようと思う。天竺にはコードネームRX-78 通称・超高速攻撃型モビルスーツ・リキシャという乗り物がある。このリキシャ初号機は、開発責任者モヘット博士自身の手で強奪。南米奥地に隠匿されてしまっていたのだが、テストドライバーであり神秘の行者であるガンジー・オセロが、博士の手よりリキシャを奪還。天竺にて公共の乗り物として普及したという逸話があるらしい。このリキシャは超高速攻撃型モビルスーツだけあり、日本で見受けられる一般の乗り物とは大きく異なる。まず、タイヤが三つしかない。ワイパーが手動だ。エンジンが30年前の代物らしく雨が降ると水が入って動かない。さらにスピードメーターがいい加減だ。おまけにバックもできない。やはり攻撃型にカスタマイズされているだけあり、無駄を省いた設計スタイルを採用していることが容易に推察できるものである。

天竺では、この基本設計を受け継いだ 量産型リキシャが幅広く普及しており、街角に赴けば5台10台と連なったリキシャの編隊を観測することができる。リキシャのジェットストリームアタックと呼ばれる編隊の合間に見受けられるのがタクシーである。このタクシーも侮れる代物ではない。タクシーといえば、それは日本にもあるではないかと思われる旨もあるだろう。なるほど、タクシーと名が付くだけあり日本のタクシーとの共通点もないことはない。まず、タイヤが四つある…以上だ。やはり、この天竺タクシーも無駄を省いた設計スタイルを継承しているらしく、サイドミラーがない。ワイパーも手動。エアコンがない。スピードメーターがいい加減。すぐエンストするなど攻撃型に特化した仕様スタイルをとっている。

以前、私の拠点から南に1時間ほどの時間を要するビクトリア・ステーション方面に出向いた際の話だ。
拾ったタクシーには、どういうわけかドライバー以外に男が乗っていた。はて?ナビゲーターであろうか?問いただしてみるも要領を得ない返事。だが、30分後に謎が解けた。高速道路の真ん中でエンストしたのだ。その男と一緒にエンジンがかかるまで車を押す私。なるほど、エンストした時に車を押す用の人だったのね。10Mほど押しまくり「ブ・ブル・ブルルン!」「さぁ、かかったぞ飛び乗れ!」高速の真ん中で生きた心地がしなかった。

ことほど左様に攻撃型に特化したリキシャ、タクシーである為、ドライバーも只者ではない。まず、尊法精神が皆無である。そもそも交通法規などという前時代的な代物は、この天竺には存在しないようである。信号など稀にしか見受けられないのだ。大平原に広がるルート66というわけではない、人口が溢れんばかりの天竺だ。いつでもどこでも交通渋滞なのにも関わらずだ。道路は車体の海と化しているわけだが、只者ではない天竺ドライバーたちには交通法規など必要ないらしい。車線などというものは完全に無視だ。隙間が僅かでもあればグイグイ車を押し込んでいく。隣の車との距離は3cmしかないのだが全然平気だ。また、車間距離もへったくれもない。前の車との距離が10cmしかないにも関わらず、急ブレーキを踏まれてもオカマを掘るようなヘマはしないのだ。

いつか話したとおり、天竺ではたまに大雨が降るのだが、タクシーもリキシャも雨で前がほとんど見えないにも関わらずワイパーを使わない。なにせ手動だからだ。しかしながら、平気でスピードをだしてカッ飛んでいく。大渋滞に加え道路の両脇は人で溢れ返っているにも関わらずだ。人間業とは思えない。見えないのにどうやって運転しているのだろうか?どういう仕組みになっているのかさっぱりわからないが、やはりニュータイプなのではないかと睨んでいる。ララァもそうであったが、やはり秘密は額のポッチだと思われる。どうもあの額のポッチで天界と交信している節がある。
おそろしいことだ。

恐らく軌道上の衛星からの時刻情報と軌道情報(アルマナックデータ)を額のポッチで受信し、衛星の位置データと電波が届くまでの伝播時間から自分の位置を弾き出しているのだ。原理的には3個の衛星からの電波を額のポッチで受信すれば、それぞれの距離を計算し3次元的な位置を特定できるはずだ。

そんな馬鹿なというなかれ、天竺人は九九を99の段まで憶えている輩である故、3次元的位置の測定計算を瞬時にやってのけたとしても、全然不思議ではないのである。

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2008/10/10

時代はインターネット!

このカレーをはじめて2ヶ月ほど経過した。
読者諸氏におかれては、埒も無い与太話ばかりが並んでいるように感じているかもしれないが、なにしろ埒もない与太話しか書いたためしがないのだから、ご推察は正解である。そこら辺は自覚しており「 小天竺 」の回において、真面目に福田内閣の行く末について私なりの考察を述べると宣言したのだが、その三日後に福田内閣がなくなってしまった。

何故、与太話ばかりが並んでいる結果となったかと言えば、なにしろ書いている本人がブログというものをよくわかっていない。記念すべき第一皿目作品であるところの「 愚にもつかないこと 」を書く前に、それなりにリサーチをしてみたものの世の中にあるブログというものは「旅行にいきました。わーい」だの「ラーメン食べにいきました。わーい」だのという、どうにも読んでいる方の気が重くなるような内容ばかりでリサーチをしながら頭を抱えた。しかしながら先人は先人である。先人に習えば、私は天竺にいるのだから天竺の旅行情報だのカレーを食べる話でも書けば良いのかとも思ったのだが、それはなんというか、書いていて非常につまらない。だいたい今は21世紀なのだ。ラーメンを食べにいくブログの人はご存知ないのかも知れないが、インターネットという最先端技術が存在するのだよ。時代はインターネットなのだ。昔、文太アニィが時代はパーシャル!とかいっていたが、アニィには悪いがインターネットはパーシャルなどとは比べ物にならないくらいハイテクなのだ。インターネットときたら、これはもう凄い。Googleとかいうところにラーメンとタイプすれば、検索結果としてラーメンがいっぱい出てくるのだ。わーい、いただきまーす!賢明な読者諸氏は、この話が嘘だと思われるだろうが、ご推察の通り嘘だ。本当は、ラーメンが出てくるのではなくラーメンに関係する情報が出てくるのだ。情報は食べられないのだから、やはりつまらないと言わざるを得ない。しかしながら、価値のある情報というものもないわけではない。たとえば旅先の情報を知りたいとする。インターネット大明神様にお伺いを立てれば、即座に旅先の情報を出してくれる。つまり、私が大上段に構えて天竺旅行ガイド的なものを書く必要はなく、大明神様にお伺いすれば事足りるのである。このようなことを踏まえて、あまりローカルネタだとか情報性の高いネタは避けようと考えていのだが、情報性の低いネタとは、つまりは与太話になってしまう。どいうことだ。

さて、話はいきなり飛ぶ、NEW CURRY PARADISOである。これは私がBloggerで書きなぐっている英語版カレーだ。日本語版が CURRY PRADISOで、英語版がNEWかと思われるかもしれないが、そうではない。英語版カレーもNEWでは無い時期があった。アメーバで書いていた時は、NEWでなかったのだが、少々事情がありアメーバからBloggerに移管したためNEWということにした。この辺の事情は、このカレーの中に書いてあるのでここでは割愛する。さて、この英語版と別コンテンツである ポートフォリオでは、いくつかの余興を盛り込んでいる。注目してほしいのが、WORLD ACCESS LOGという余興だ。これは、訪問者がどこからアクセスしたのかというログを世界地図上に残すことが出来るのだ。現在のところアメリカ、カナダ、中国、台湾、ドイツ、ルーマニアに丸がついている。そして一際大きな丸が天竺と日本だ。この丸はアクセス数に応じてドンドン育っていくので、丸が大きいということはアクセスが多い地域ということになる。天竺のアクセスは、他ならぬ私のアクセスということだが、日本チームさんの頑張りも素晴らしい。ぜひとも他国の方々も日本チームさんを見習って丸を育ててほしいと思う。

さて、このほど左様にインターネット大明神様の素晴らしさを説いてきたが、いったいどこに大明神様はおられるのかと関心をもたれたことであろうから、今回だけ特別にお教えする。ソフマップかヨドバシカメラかヤマダ電気の5階あたりが怪しい。ぜひともご自分の目でお確かめになることをお奨めする。

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2008/10/07

くっきんばぁ

萌えとかではないという意味で、件のメイドを市原悦子的だと形容したが、彼女はまだ27歳だ。市原悦子的だとは少々申し訳ないような気がする。そんなわけで、他の表現を探しているところだが、今朝もこんなやり取りがあった。

悦子 「今日のランチボックスは、何にしませうか?」
  私 「カレー以外なら何でもいいであるぞ」
悦子 「では、サンドウィッチにしませう。でも具がありません」
  私 「チキンのハムがあったではないか」
悦子 「あれは、もうありません」
  私 「まだ残っていたはずだぞ」
悦子 「お余りをわたくしめが食べてしまいました」
  私 「うぬう。おまえめが、であるか」
悦子 「わたくしめが、でございます」
  私 「うぬう…ソーセージがあったではないか」
悦子 「あれも、もうありません」
  私 「あれはまだ食べていないはずだぞ」
悦子 「食べてしまいました」
  私 「誰が?」
悦子 「わたくしめが、でございます」
  私 「うぬう。おまえめが、であるか」
悦子 「わたくしめが、でございます」
  私 「では、なにがあるのというのだね」
悦子 「くっきんばーがありますね。くっきんばーのサンドウィッチを作ります」
  私 「なるほど、それは良い。ところで、くっきんばぁとはなんであるか?」
悦子 「くっきんばぁは、くっきんばぁです」
  私 「繰り返すが、ヒンズーはわからぬのだよ。英語でいいたまへ」
悦子 「くっきんばぁは、英語でございます。う~」

そういうと悦子は冷蔵庫からキュウリをとりだす。

悦子 「くっきんばぁとは、これでございます」
  私 「やぁ。それはキューカンバーではないか」
悦子 「だから、くっきんばぁといっているではないですか」
  私 「だから、それはキューカンバー!」
    「るっくるっく!きゅぃうくぁんばぁ~!」

私の英語もコテコテの日本人英語であるから褒められたものではないのだが、いくらなんでもキュウリはくっきんばぁではないと思う。

などと本題とは全く関係のない話から書き始めてしまったが、今回の本題はタバコだ。今月の2日から天竺では禁煙法が施行され、あらゆる建物の中での喫煙が禁じられてしまった。オーストラリアでも建物内の喫煙は禁じられていたがパブなどといった許可を得た店では喫煙できたので、天竺はさらに厳しいということになる。
そんなバカな。

さらに、野外でも商業エリア内での喫煙は駄目らしい。歩道というのは商業エリアらしいので、車がびゅんびゅん通過する車道で吸うしかないらしい。
そんなバカな。

おまけに自宅でもメイドが不快に感じる場合は、喫煙してはいけないそうだ。
そんなバカな。

私はかなりのヘビースモーカーであるので、困った事態になったものである。上司に言わせるとこれを機会に禁煙すればいいじゃないと気楽な言葉。何を言うんだ禁煙できるものならとっくに禁煙しとるわい。自慢じゃないが、私は年に5回は禁煙を決意しているのだ。つまり年に5回は失敗しているという意味だ。
わたしはバカだ。

少々興奮して眩暈がしてきた。ちょっと一服することにする。
マルボロの煙を燻らせひとりごちておると、悦子がやってくる。

悦子 「あきぃ、るっくるっく!くっきんばぁ!」
  私 「だまれ・・・」

2008/09/28

続天竺的交通事情

いつか「天竺的交通事情」と題して、その実、牛丼について語るという愚行を犯した。今回は「続天竺的交通事情」と題して、その実、駅蕎麦について語り愚行を上塗ってみようと思う。

以前から疑問に感じていたのだが、新橋駅の高架下で営業するポンヌフという蕎麦屋が不思議だ。新橋駅という土地柄そこそこ名前の通っている店だが、蕎麦屋でありながらフランス語的な店名というのはどういう了見だろう。私を懊悩の淵に叩き込んでやまないポンヌフである。困ったものだ。

困った時は金田一だ。京介だ。いや新村出の広辞苑も捨て難いと思ったが、私は今天竺にいたのであった。天竺には新明解国語辞典はないのだよ。
しかたがないので、Wiki様からの御神託を請う事にした。
Wiki様によるとポンヌフとはThe Pont Neuf , French for the "New Bridge," だそうだ。New Bridge?新しい橋? あ~新橋だ! 
なんてこったい駄洒落じゃないか。

閑話休題。駄洒落にうつつを抜かすポンヌフは忘れよう。
駅蕎麦といえば、やはり品川駅構内の常盤軒だろう。品川駅構内および各プラットホームを占拠している常盤軒であるため、これもまた名前の通っている店だ。注目すべきは同じ品川駅内であるにもかかわらず各支店毎に特徴を持たせているところだ。掻き揚げを売りにしている常盤軒もあれば、カレーを売りにしているところもある。その中でも最も有名な常盤軒は、東海道線下りホームこと11-12番線の常盤軒だ。ここはすごい、駅蕎麦でありながらビュッフェ・スタイルなのだ。英語読みだとバッフェ・スタイルなのだ。
蕎麦屋でありながらフランス的なビュッフェ・スタイルとはどういう了見だろうと読者諸氏におかれては疑問を呈することとなろうが、安心してほしい。ほんとはビュッフェ・スタイルとは書いていない。
ほんとは「お好みそば お好みで好きな具材を好きなだけトッピング 380円」と書いてある。つまりは、ネギ、ワカメ、味付山菜、鰹節、魚天麩羅、天かす、きざみ油揚げなどなどの具材が入れ放題なのだ。新明解国語辞典第五版は7万6千項目の収録語数を誇ることで有名だが、私の辞書には「遠慮」という文字が収録されていない。お好きなだけトッピングと聞けば、これはもうたくさんトッピングする。蕎麦であるにも関わらずカキ氷のようなシルエットとなったところで、これもまた無料のゆで卵を一つ付けてもらう。出社前にこんなものを食べていては昼飯が喰えなくなるのだが、私の辞書には「計画性」という文字も収録されていない故、その時はあまり気にしない…が、朝、会社で気分が悪くなっていた。後悔先に立たずである。

閑話休題。常盤軒のことは忘れよう。
ほんとは、沼津駅、静岡駅などで営業する東海軒の蕎麦が好きなのだ。黒々とした関東風のつゆに見せかけ、イリコダシ入りの甘めの味付けで大変おいしい…と思ったが、これは別に東海軒の手柄ではないような気がしてきた、基本的に静岡の蕎麦つゆは少し甘めでおいしいのだ。シラスとか桜海老の産地でもあり、掻き揚げの具材も豊富なので、やはり蕎麦は静岡に限るようだ。

さて、蕎麦は静岡に限ると結論がでたところで本論文を締めくくろうと思うが、冷静に考えてみると。今回は蕎麦に関する考察ではなく続天竺的交通事情の回であった。このままでは、本論文を締めくくれないではないか。何故、蕎麦に関して語っているのだ。私よ。

じゃあ、こうしよう、実は天竺的交通事情は三部作であったのだ。
またの機会に「真天竺的交通事情」の回をやるので、そこで天竺の交通事情を語ろうと思う。だんだん「猿の惑星シリーズ」のような展開になってきたが、安心してほしい。欧米にはTrilogyという作劇方法があり、三部作の最終章では、必ずすべての謎が明らかになるというお約束があるのだ。

2008/09/24

昨日今日明日

件の市原悦子的メイドが天竺語の通訳として役立ってくれていると、いつか話したと思うのだが、今回は彼女の英語が摩訶不思議なことについて言及してみたいと思う。一応の会話が成立しているので、決して英語力がないわけではないのだが、どういうわけか時制がない。まぁ、文法的な時制であれば、汲み取ってやらぬでもないのだが、問題は単語的な時制がないので困る。つまりは、昨日、今日、明日という単語を憶えてくれないのだ。

今日は、
とぅだぁ~いなの。とぅっだ~いとスティーブ・ジョブスかジョージ・ブッシュばりの南部なまりで教えてやる。

とぅだぁ~いの前の日は、
いぇすただぁ~いなの。いぇすただぁ~いお~まいとあぶろしむそふぁえ~い。じょんなの、ぽーるなの、しょじょじなの、あおもりりんごなの。

とぅだぁ~いの次の日は、
とぅもっろ~うなの。とぅもっろ~う。るっくるっく、とぅぇっもぉぅろぉ~うぅ。気分はウィッキーさんだ。天竺にズームイン。天竺のぴえーるさ~ん。おお、またでやがったなピエールめ。

一方、知恵熱がでるのではないかと思われるほどの表情をうかべ懊悩の淵にたたきこまれる悦子。
そんなに悩むな。

  私 「ところで、部屋の掃除を頼んだ件はどうなっているのかね?」
悦子 「とぅもっろ~う!るっくるっく!」
  私 「るっくるっくは余計だ」

その後、なぜだかわからないのだが、今日、掃除をはじめる悦子。
甚だ困惑させられる毎日である。

JAPANESE/ENGLISH

2008/09/19

天竺で風邪をひく

ここ数年、風邪というものには無縁で過ごしてきた。
昔から「馬鹿は風邪をひかない」というので、ことによると私は馬鹿なんぢゃなかろうかと不安になっていたところだったのだが、天竺にやってきてからというもの度々病気に悩まされているので、どうやら私は馬鹿ぢゃないらしい。

よかった。

最初の症状は酷かった、体が火照り、体中の節々が痛んだうえ、嫌な脂汗がひっきりなしに滴りおちた。病院で診察を受けると「この薬を飲んで安静にしていなさい。次の日も同じ症状が続いたらマラリアの検査を受けたまえ」と言われた。こらドクター、恐ろしいことを笑顔で言うんじゃないと憤慨してみるも次の日にはケロッと直ってしまったので、命を救われた。それを笑顔でみていた私の上司も、2週間後に同じ症状に見舞われた。ざまぁみやがれである。この上司の偉いところは、土日に病気になることである。うまいこと仕事への影響をかわすのだ。運がよかっただけだからなと捨て台詞を残す私。

さて、またもや風邪をひいてしまった。咳、鼻水が止まらない。原因はわかっている。エアコンだ。オフィスだ。ただでさえ雨季で天竺は涼しいというのに、風邪をひいてしまうじゃないか、というかひいた。今回は、前回のように変な脂汗はでていないし、症状は軽いのだけれども、どういうわけか、なかなか直らない。ずっと咳き込むし、ずっと鼻汁がたらたらだ。しかたがないので、病院にいくことにした。

天竺病院なんてものは簡単なもんである。咳と鼻汁が止まりませんと症状を訴えると「これから五日間、冷たいものを食べないように」だそうだ。
なんなのだ、そのアドバイスは?そんなことは医者に言われなくとも百も承知である。もっとこう、ほら、医学的にないのかね。
「温かいスープを飲みなさい」だからそういうのじゃなくてですな。

もっとも「鼻の穴に葱を突っ込んで、正露丸を飲んで寝なさい」と言われても鯨飲するのは憚られるのではあるのだが。

医者から、鼻汁を止める薬、咳を止める薬、栄養剤をもらって帰途に着いた。

2008/09/04

天竺的交通事情

いつかリキシャの話をしたと思うのだが、天竺の交通事情はすごい。人口が世界第二位の国ということもあり、どこもかしこも交通渋滞だ。タクシーやリキシャは我先にと車体を押し込み、交差点は人々で溢れかえる。
混沌とした街頭を走り抜けるバスは外から眺めても、ギュウギュウのすし詰め状態だ。天竺人同士が鼻先八寸の距離で身を寄せ合っている。

いま、すし詰めという言葉を使ってみたが、考えてみれば変な表現だ。つまり、寿司というのはあんまりギュウギュウに入っていないような気がする。寿司の折箱の中身はスカスカで生姜だの短冊で割り増ししているように思うのだ。折箱の中にギュウギュウに寿司を詰め込む寿司屋があったら、それはとってもお買い得なような気がするわけで、大変いいことだ。そのような考察を踏まえるとギュウギュウのすし詰め状態という表現のネガティブな使用はしっくりこない。ネガティブな意味でギュウギュウ詰めを表現するのであれば、別の比喩にすべきではないかと思うのだよ。

たとえば、「ギュウギュウの吉牛状態だ」

どうだろう?しっくりいくのではなかろうか?吉野家の牛丼は、これはもう誰がなんと言おうとギュウギュウだ。寿司とは異なり、吉野家の牛丼がギュウギュウに詰まっていても、それはちっともお買い得感は醸し出されず、むしろ当たり前だ。比喩表現の意味的な見地からいっても、「ギュウギュウのすし詰め状態」という表現は用法的に誤りと思われるので、今後は「ギュウギュウの吉牛状態」という表現の使用を日本文学界に提言しようと思う。

しかしながら、提言は慎重でなければならぬ。なぜならば、この提言では松屋の立場がないからだ。ことによると、なか卯の立場もない。ランプ亭の立場はどうなる。秋葉原の牛丼専門サンボの立場はどうなるというのだ。
サンボなどは、アキバがまだアニメオタクに毒されていない純然たる電気街だった頃からある老舗なのだ。サンボを無視するわけにはいかんだろう。やはりここは「ギュウギュウのサンボ状態だ」で手を打つか。しかし、サンボは如何せん知名度が低い。我々が486時代にDOSV機のパーツを買いにアキバにいっていた頃は、そこそこ有名だったのだが、いまのアニオタはサンボに行くのだろうか?と自問してみるも、よく考えてみれば、アニオタの街になってしまったアキバには、私自身が近づかなくなってしまったので、どうでもいい話であった。サンボなんか無視無視。

閑話休題。
話を戻そう、ことほど左様にギュウギュウの吉牛状態の天竺バスであるため、私はまだ天竺バスを利用したことがない。なぜならば、天竺人でも天竺バスにのると財布がなくなったりするとのことで、外国人にとって天竺バスは大変危険なのだ。

さて、「大変危険なのだ」といったところでようやく本題に入ろうと思うのだが、本題に入る前の枕で今回も無駄にインターネットのトラフィックを消費してしまった。携帯だったら、1000バイトで1パケだ、枕の終了箇所である「大変危険なのだ」というところまでで1033文字ある。全角2バイト文字なので2066バイトの消費だ。2パケだ。

申し訳ない。

天竺的交通事情の本題は、また別の機会に話すとしよう。

2008/09/01

力車的寓話

私の家から職場まではリキシャが足となっている。
リキシャというのはバスのような乗り合いではなく、所謂タクシーのような個人貸切の乗り物である。

これが安い。職場まで10分の距離を一人で借り切る。さぁ、はうまっちょ?
1ルピー 2円でお考えください。
ユタ州バカにしないでよぉのあの時代の話であるが、今の若い人は、ご存じないかもしれない。巨ちゃんである。うっしっし。
正解は20ルピーだ。

どのへんが安さの秘密かと問われれば、オート三輪なのである。
オート三輪といえば、タクシーが円タクと呼ばれ東京都内どこまでいっても1円で乗れた時代に活躍したダイハツ・ミゼットを思い出していただければよい。
そう、あのすぐ転ぶ奴だ。歌謡界では笠木シズコがブギウギとかいってたあの時代の話であるが、今の若い人はご存知ないかもしれない。
無論、私も若いのでご存じない。

さて、ことほど左様に安いリキシャであるが難点もある。
雨が降ると動かない。乗車拒否。ぼられる。おおげさ。まぎらわしい。
日本であれば速攻JAROに訴えられそうなリキシャであるが、天竺であるためJAROはない。
よかったねリキシャ。

雨が降ると動かないというのは致し方ないとしても、乗車拒否だの、ぼられるというのは非常に困る。
人口の多い天竺であるため客はいくらでもおり、安い客は乗せなくても商売が成り立つということ、そして各リキシャは法人組織に属しているのではなく、個人であり、日割りのリースで車を借りて営業しているらしい。こうなると、クレームのだしようがない。
そんなわけで、外国人を見るといいカモが来たとボッたくろうとするから困る。

私の顔は外国人に見られるせいか、20ルピーの距離を平気で100ルピーだなどと言ってくる。
いくら私の顔が日本人離れしたフランス人に見えようが、彫刻のような造詣のギリシャ的好青年に見えようが、私は天竺に住んでいるのである。相場は知っているのだ。
5倍の値段をふっかけられて引き下がる私ではない。
いいか、わたしはピエールじゃないのだ。ムッシーじゃないのだよ。
100ルピーなんてありえないじゃないかと10分ほどやり取りをすることになる。
で、会社に遅れる。
それじゃ、いかんじゃないか、ピエール。
たのむぜ、ピエール。いかすぜ、ピエール。ところで、ピエールって誰?

JAPANESE/ENGLISH

2008/08/28

小天竺

カレーをはじめて、3週間ほど経ったわけだが、愚にもつかない話だと宣言した故か、どうにも埒もない与太話しか書いていないような気がする。もう少し、福田内閣の行く末だの、世界平和だの、NPOだの、そういう実のある話をしなければいかんのではないかと思うのだよ。私もすでに30半ばだ。やはりアメーバのほうがミジンコより偉いとか書いている場合じゃないと思う。ところでNPOってなんだっけ?銭形のとっつぁ~んだっけ?ありゃICPOか。

しかしながら、実のある話をしようと大上段に構えると、これといって書くこともない。それならば愚にもつかない話は、やめるかということにもなるのだが、毎回毎回、無計画に書き始める為、途中でノッてしまい気づいてみれば、ついつい埒もない与太話で内容が埋まってしまう。書くほうはそれなりに楽しいのだが、読むほうは大変かも知れぬ。どうも、文章を書く以上それなりの尺がなければイカンのではないかと思う節もあったのだが、考え直す時期にきたのかもしれない。

やはり、ブログというものは、内容よりも更新回数だと思われるのだよ。思われるのだよと力説してみるも、冷静に考えてみると私の与太話には福田内閣の行く末などは入っておらず、やはり内容もないようだ。
お、駄洒落ですよ。駄洒落。

今回も、本題に入る前の枕でこれだけ無駄なことを書いてしまった。
とにかく本題はだ。康夫ちゃんをどうにかしようという話ではなく、このカレーにもう少し気楽なショートエッセイを掲載して更新回数を増やそうということだ。そこで新しくカテゴリーを作ることにした。

小天竺

小天竺だ。つまりは、気楽なショートエッセイはここに突っ込もうということだ。
さて、どういったものが気楽なショートエッセイになりうるかを考察してみよう。

考察 1) たとえば、こういうのはどうだろう。

天竺日誌~CURRY PARADISO~ 2008年8月28日

朝起きて、風呂に入って、ウンコして寝ました。

ギザカワユス!おわりデゴンザレス!

完璧だ。気軽かつ簡潔。具も実もカレーもギザンコカワユスもあるぞ。

回答 1) そういうことは、しょこたんにでもやらせておきなさい。


考察 2) たとえば、こういうのはどうだろう。

天竺日誌~CURRY PARADISO~ 2008年8月28日

ご主人のカレーへのこだわりが、
このカレーにより一層深い味わいを与えている。

また、へビィな旨味もあまり感じず。ほのかな旨味が全体を構成。
しかしながらスープ表面付近に人口的な旨味が強いので、もしかしたら、表面に浮くインド汁そのものに味をつけているのかも知れない。


もちろん固めオーダーである。

完璧だ。気軽かつ簡潔。化調抜きでこれほどまでの味のフォルテッシモが。

回答 2) そういうことは、ラオタにでもやらせておきなさい。


考察 3) たとえば、こういうのはどうだろう。

天竺日誌~CURRY PARADISO~ 2008年8月28日

殿下は、様々な場所、分野で活躍されました。
5月からインドをご訪問。
カレーをご堪能あそばれた殿下は、
シェフをお呼びよせになり「ま、あなたも頑張るように希望します」と

激励のお言葉をかけておられました。

完璧だ。気軽かつ簡潔。
殿下のカレーへの愛を秘蔵映像でつづるアルバム。

回答 3) そういうことは、TBSにでもやらせておきなさい。

あ、そ。

注:小天竺はアメーバブログへの掲載時のカテゴリです。現在は天竺日誌に統一しています。

2008/08/25

魔法のテレビ

ある晩のこと。
帰宅すると件の市原悦子的メイドがまんじりともせずにテレビを眺めている。

  私 「テレビを音も出さずに眺めてゐては、面白くなゐと思うのだが」
    「そこのところはどう考えてゐるのだね?」
悦子 「テレビが問題です」
  私 「テレビが問題とゐうより、君のほうが心配だと思うのだが」
悦子 「音がでません」

ことによると、天竺人はリモコンという文明の利器を知らないのだろうかと心配になり悦子にリモコンを渡す私。

  私 「リモコンのこのボタンを押してみたまヱ」
悦子 「駄目です。音がでません」

そんなことはなかろうと、自分でボリュームアップのボタンを押す私。

  私 「ゑゑヱ。テレヴィの音が小さくなってゐくではないか」
悦子 「そうでせう。リモコンがゐうことを聞かぬのでございます」

驚愕至極。早々に映像受信機を直接いじってみること小一時間。

摩訶不思議。驚天動地。なんと彩度調整のボタンで音が大きなってゐくではないか。是は全くもって不思議な映像受信機ナリ…って壊れとるやんけ。

正気に戻った私は、早速リース業者に文句を言うよう悦子に指示するも、
悦子曰く、音が出るので天竺のテレビとしてはマシなのですと文句を言う気もない様子。

…時刻は11時をまわる。

悦子 「では、おやすみなさい」
  私 「やすんでおしまいなさい」

やすんでおしまったおかげで、ようやくプライベートの時間を満喫する私。
都知事の弟のごとくブランデーを傾けながら、夜霧よ今日もありがとうと、ひとりごちておると、
ようやく音の出るようになったテレビでは、本日の映画が放送されだす。

チャップリンの「黄金狂時代」だそうだ。

ことごとく音が関係ない。

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2008/08/19

「アラ嫌だわ」「見たわよ」

世に聞くメイドさんというものは、ご主人様~♪とかいう、もっとこう萌え的なソレではないかと思われるのだが。
天竺のメイドは、なんというか…市原悦子的なアレであるようだ。

私の家には、天竺人が度々訪れるのだが、私は天竺語がわからない為メイドが通訳になってくれる。

カーテン屋がやってきた時もそうだ。
悦子 「カーテンを取り付けにきたと言っています」
  私 「なるほど、私の家にはカーテンがないからな。いくらだか聞きたまえ」
悦子 「1500ルピーだそうです」
  私 「ほう、それは安い。つけてもらいなさい」
悦子 「かしこまりました」

その後、なぜだかはわからないのだが、
カーテン屋はカーテンのレールだけ取り付けて帰っていった。
肝心のカーテンは別売りのようだ…

リース業者がやってきた時もそうだ。
悦子 「テレビを配達にきたと言っています」
  私 「レンタルに申し込んだからな。早速取り付けてもらいなさい」
悦子 「かしこまりました」

その後、なぜだかはわからないのだが、
リース業者はテレビを置いてさっさと帰っていった。
アンテナケーブルは別売りのようだ…

インターネットのプロバイダー業者がやってきた時もそうだ。
悦子 「インターネットを取り付けにきたと言ってます」
  私 「なるほど、ネットを申し込んだからな。早速取り付けてもらいなさい」
悦子 「かしこまりました」
  私 「…」
悦子 「…」
  私 「なにやら時間がかかっているようだが大丈夫かね?」
   「このままでは、このテンドンが成立しないではないか」
悦子 「…」
  私 「…」
悦子 「転職を申し込む事にしました♪」
  私 「はぁ?」
悦子 「このプロバイダー業者が、新しく事務所を設立したのです♪」
  私 「で?」
悦子 「コールセンターのオペレーターを募集しているそうです♪」
  私 「ちょっと待ちたまえ。メイドはどうなるんだね。メイドわ?」
悦子 「メイドはよくありません。オペレーターのほうがいいお金です♪」

そういう問題ではない気もするのだが、すっかりやる気になってしまった。

なんでもオペレーターにはPCスキルが必須だとの事で、PCスクールに通うとまで言い出す始末である。まぁ、がんばってほしいものである。

で、タイピングくらいならば教えてやろうと、使っていないPCを貸してやった。
悦子 「ん~~~、えぃえぃ、えぃ…おー、いぇす、でぃす!」
    「ん~~~、びぃびぃ、びぃ…おー、いぇす、でぃす!」
だ~か~ら、ホームポジションっていうのがあるんだってば。まずFとJの位置を覚えなさいっていってるでしょ!
その次がFとJに近いとこ、AやBはまだまだ先だってばさ。

2008/08/16

「ぬ」に関する考察

それにしても「ぬ」という平仮名は間抜けな形をしているものだ。
「め」にちょこっと丸がついて「ぬ」なんだそうだ。片仮名だって「メ」に一部品加わって「ヌ」だ。

めーーーねーーめーーぃ

どのように唸ろうとも喚こうとも言語学的にも発声学的にいってもマ行のメとナ行のヌとはかけ離れていると思われる。これは日本語学上の大きな難題なのであると思われるのだが、安心してほしい。今回の本題は「ぬ」とは全く関係がない。

この天竺日誌ことカレーを開設して3日ほど経過したわけだが、私ごときの駄文を読んでくれている人というのは、世界中に5人くらいしかいないのではあるまいかと不安になる。そう、アイツとコイツとアノ人と…その5人もだいたい想像ついてしまうところが悲しい。ふとアメーバブログの管理画面にアクセス解析のリンクを発見する。

興味深い数字

アクセス者数(UU)
8月10日 19
8月11日 21
8月12日 41

このカレーの開設日に誰にも宣伝していないにもかかわらず19人もの人々が訪れたのだそうだ。実に怪しい。
ことによるとカレー好きが読んだのか?ヒデキは感激ものだが、19人もの人々があの「アメーバはミジンコより偉い」とかなんとかいう適当な駄文を読んだというのだ。ご愁傷様です。

翌日は21人、そして翌々日は41人。一見着実に増えているかのようであるが、ちょっと待ちなさい。いまいちコメントが少ないじゃないか。そこらへんはどうなっとるんだね。怪しい。ほんとは19人だの21人だの41人だのという数字は幻影で、こんなカレー的な話の読者なんてものは、世界中に存在しないんじゃなかろうかという疑念に満ちてきた。

そこで友人各位に私のブログの存在をアピールすることにした。

「タイトルの絵が素敵」

友人の言葉だ。
いいかげんにしたまえ。タイトルの絵はアレだ。Sponsored by H.I.S なのだよ。素材提供 H.I.S なのだ。絵なんかどうでもよいじゃないかと友人の弁に一頻り憤慨したところで、大きな過ちに気付いた。

今のままじゃ英語の人が読めぬではないか。これは可及的速やかに対処せねばならぬ。

ならぬったら。ならぬ。ならぬってばさ。ならぬのだ。

ぬぬぬぬぬぬのENGLISH

注:アメーバブログから引越しさせた文章です

はっぴぃ いんでぺんでんす

今ではもう風化した話かもしれません。

数十年前の今日。
ジョンとポールとベルモントがJALのハッピを着てC-54 輸送機バターン号のタラップを降りてきたのです。
我らが皇帝が玉音放送にて、やぁやぁやぁなどいう伴天連の言葉を発していたのを辛辣なる思いで聞いていたことが、昨日のことのように思いだされます。
WGPなる教育操作を施され、先人を否定し、非暴力三原則ことミザル・キカザル・イワザルが施行され、我が国は平和になったのでしょうか?
数十年の時は経ちましたが、ずうとるびによる影響がいまだに色濃く残る我々が、本当の意味で独立できるのは、いつのことになるのでありましょうか。

などと、どこの国の独立の話か知りませんが、それはともかく。

本日、天竺は独立記念日だそうです。
ガンジー・オセロあたりが何かやった日だとにらんでおります。おそらく大仏魂に魂をいれた日でございましょう。

やぁやぁやぁ。 はっぴぃ いんでぺんでんす どぅえい。

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2008/08/12

雨季でウキウキ♪

天竺は暑いという常識をもたれる御仁もおられれるだろうから、ここで声を大にして反論させていただく。

天竺は涼しいのである。

こりゃもう涼しい。なんたって雨ばかりで日が射していないのだ。
聞くところによると天竺は雨季だそうである。

なんでも雨季は9月末に終わり、その次がようやく夏だそうだ。
はぁ、そうですか。夏は10月からなんですね。この調子じゃ12月はそりゃもう暑いんだろうねぇ…って待ちたまえ。
12月は世間的に言って冬ではないですか。
そんな夏なんてお母さんは許しませんよ。
さては、天竺人に騙されているんです。そうに決まってます。南半球にあるオーストラリアじゃないんだから12月に夏はこないに決まってます。

そこのところを天竺人に問いただしてみたところ、本格的な夏は3月からだそうである…って待ちたまえ。
3月は世間的に言って春ではないですか。
そんな夏なんてお母さんは許しませんよ。
さては、天竺人に騙されているんです。そうに決まってます。春といえば入学シーズンじゃないですか。そんな時に夏だったら、新入生は暑くてたまりません。

そこのところを天竺人に問いただしてみたところ、3月からはじまる夏は5月で終わり、5月からは、雨季だそうである…って待ちたまえ。
5月から雨季がはじまったら、なんだかそれはずっと雨季じゃないですか。
そんなに雨季ばかりだなんてお母さんは許しませんよ。
さては、天竺人に騙されているんです。そうに決まってます。そんなに雨季ばかりだったらガンジス川が溢れてしまうじゃないですか。

そこのところを天竺人に問いただしてみたところ、5月からはじまる雨季は9月末に終わり、その次がようやく夏だそうだ。
はぁ、そうですか。夏は10月からなんですね。この調子じゃ12月はそりゃもう暑いんだろうねぇ…って待ちたまえ。

以降、エンドレスに続く。

2008/08/11

天竺は毎日カレー

天竺日誌なるタイトルを掲げている故、天竺に触れてみる。

マチャアキや夏目さん が、シルクロードを経て辿りついたあの天竺である。そりゃもう昔は大変だったのだろうが、今は違うぞ。ボーイング747だ。眠っていれば、10時間くらいで到着するわけである。
天竺へは仕事目的であり、短期の観光などではない。

そう長いのである。
長いとなると気になるのが食事だ。ボーイング747の中で「ことによると天竺は毎日カレーなのではあるまいか」という疑念が頭をよぎる。まぁ、さすがの天竺人でも毎日カレーでは飽きるだろうから、それはもう天竺的なご馳走がいっぱいあるのではないかと自己疑念を否定…いや、しかし天竺だしな…自己疑念を肯定。などと不安に慄いていると、ボーイング747の中にアイツの香りが満ちてきた。

機内食もカレーだ。

なかなか挑戦的ではないか、天竺人め。負けないぞ。
そうこうしているうちに天竺での滞在も2ヶ月目を迎えてしまったわけだが

やはりというか、なんというか、天竺は毎日カレーなのであった。

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愚にもつかないこと

唐突だがブログをはじめることにした。

ブログといのは、旅行にいきました。わーい。だの、ラーメン食べに行きました。わーい。だのといった極めて個人的且つ愚にもつかないどうでもよい情報を世界に向けて発信するアレのことだと思われるので、たぶん私でも出来るような気がしたのだ。そんなわけで、愚にもつかないことを書くことにしたのはいいのだが、ブログというと、YahooだのMSNだのGoogleだのライブドアだのアメーバだのミジンコだのいっぱいあるらしいので、私の愚にもつかない文章はどこに書きなぐればよいのか、迷ってしまった。
まぁ、(注1)アメーバが有名ぽいのでそれでよいかと、でも変な名前。アメーバだそうだ。80年代に流行った玩具みたいだ。あれはスライムだっけ?とにかく怪しい。


それはともかく、登録からはじめて、利用規約に合意して…ブログタイトルを記入し、なんか文章を書くとこがあるから書いている。

今、ここ。

上のやつは何だろうか? おお、なんか絵が出た。 (^ε^)♪ 顔文字だ。画像の追加ってのもあるな、画像面倒だからパス。アフリィエイト…まぁ、そのうちやってみよう。

下にある「コメント拒否」というのはなんだろう?なにかしら?
ははぁ、賢明な私は気づいちゃった。これはアレだ。この駄文に対して、読んだ人が、「いいっす!最高っす!」というような賛美のコメントを投稿できるようにする機能なわけですな。これは良い。いやまてよ、「つまらねえ。最低です。」というコメントも投稿される可能性もあるなぁ。なにしろ愚にもつかない駄文である故、つまらない香りがプンプンしてるしなぁ…どしよ?
まぁ、いいや。なんも投稿できないよりはいいでしょう。ラジオボタンのチェックをはずす。許可と。隣のトラックバックってやつも許可にしとこう。

さて、こんなもんでブログになったかな?
文章だけでつまらないような気もするが、愚にもつかないことが主旨なのでいいんじゃないだろうか。

注1:アメーバブログから引越しさせた文章です

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