ダーウィンの説が証明したことは、ガラパゴス諸島の亀とイグアナの適応能力は、すごいぜ!ということだけである。
さて、ピテカントロプス・エレクトゥスというおばかさんがいる。
どの辺りがおばかさんかといえば、ホモ・サピエンスというおりこうさんから比べて脳の容積率が極端に少ないということらしい。このおりこうさんとおばかさんは生物学的には全く異なるのだが、ダーウィンの考え方を踏まえた上で、このおばかさんはおりこうさんの先祖ではないかといわれているそうだ。
つまり、我々のおじいちゃんはバカだったというのだ。いやん。
無礼な!我々は、神様がご自分に似せて創作された生物なのだ。おじいちゃんがおばかさんであるとは何事だ!ということなのかは知らないが、米国のいくつかの州では、学校でダーウィンの説を教えることを禁じているらしい。あまり科学的な態度ではないように思われるが、ダーウィンの説が正しければピテカントロプス・エレクトゥスとホモ・サピエンスの間に進化過程の中間種が存在しなければ論が破錠してしまう。だが、アウストラロピクテス(Australopithecus)だとか、ネアンデルタール人(Homo-neanderthalensis)は、ミトコンドリアDNA分析ではヒトに近い塩基配列を示すとされていたが、ネアンデルタール人などは、ヒトの直接の先祖では無いということが統一見解のため、話がスッキリしない。このままでは、ピテカントロプス・エレクトゥスはある日突然、ホモ・サピエンスへと進化したことになってしまう。つまり、これもまた科学的ではないのだ。
科学的という言葉の定義もやや明確でない部分も多いが、端的に言ってしまえば世界に溢れる事象というものに理論的説明を付与する事が科学的なものの考え方だと思われる。
映画「2001年宇宙の旅」では、おばかさんにインスパイアを与える存在があったと描いている。その存在が、おばかさんにTOOLという概念を与えたというのだ。つまり、モノを使うという概念だ。
(この存在は黒板[モノリス]を介してインスパイアを与えたと定義されている)
ホモ・サピエンスという生物が地球上で唯一モノを使うことの出来る生物であり、このインスパイアこそがおばかさんの思考回路を急速的に飛躍させ、脳の容積率を肥大させえたのではないかというわけだが、残念ながらこの解釈にも疑問が残る。なぜならば、モノを使う生物は他にもいるわけだ。蟻塚のアリを採取するために棒を使うチンパンジーや胡桃を割るために自動車の通過を利用するカラスの話などなど、この手の話はいくらでも出てくる。あるキッカケが、おばかさんに飛躍的な進化を促したという考え方自体は頷けるものの、それはどうも道具を使うという概念ではないようだ。
そこで、私の仮説を披露しようと思う。
どうだろう?
野比のび太という人物は皆さんご存知の通り、迂闊だ。
この迂闊な人物が、過去に行った際にタイムふろしきをピテカントロプス・エレクトゥスにかけてしまったのではないのだろうか。タイムふろしきとは皆さんご存知の通り、物質を覆うことにより風呂敷内の時間が逆行したり進行したりする道具である。標準寸法は1メートル四方。正規品にはウールマークに似た「タイムマーク」が付いている。時間を進行させたり逆行させるために布の表と裏を使いわける。布は五重構造になっており、表の面から裏の面に向かって、時流漏洩防止膜、未来流ファイバー、タキオン織りこみゾーン、過去流ファイバー、時流漏洩防止膜となっている。物体を包むと、タキオン織りこみゾーンより外の面に向かってタキオンエネルギーが放出される。(『ドラえもんひみつ全百科』より引用)。ことほど左様に未来の道具であるタイムふろしきこそが、ピテカントロプス・エレクトゥスの進化を急速に促したキッカケではないかと思われるのだ。この説を踏まえれば、ダーウィンの論が破錠することなく、ピテカントロプス・エレクトゥスがある日突然、ホモ・サピエンスへと進化したということに説明がつく。
まず、「ドラえもん」という漫画を藤子・F・不二夫氏の単なる創作物だと考えていては、この説には至らない。あらゆる創作物には、大なり小なりモデルとなる事象があるものである。残念ながら藤子・F・不二夫氏は故人である為「ドラえもん」という創作物にモデルがあった、もしくはなかったとは誰も言い切れなくなってしまったが、仮にモデルがありノンフィクションだとした場合、野比のび太氏こそが、我々が神と抽象するところの創造主であるという仮説が成立するのである。
話がいささか飛躍しすぎではないかと読者諸氏に置かれては鯨飲し難いところであろうとは思うが、よく考えてみてほしい。証明が出来ないという点に着目すれば、私の与太話とダーウィンの説との間になんら優劣の差はないのである。




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