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2008/09/28

続天竺的交通事情

いつか「天竺的交通事情」と題して、その実、牛丼について語るという愚行を犯した。今回は「続天竺的交通事情」と題して、その実、駅蕎麦について語り愚行を上塗ってみようと思う。

以前から疑問に感じていたのだが、新橋駅の高架下で営業するポンヌフという蕎麦屋が不思議だ。新橋駅という土地柄そこそこ名前の通っている店だが、蕎麦屋でありながらフランス語的な店名というのはどういう了見だろう。私を懊悩の淵に叩き込んでやまないポンヌフである。困ったものだ。

困った時は金田一だ。京介だ。いや新村出の広辞苑も捨て難いと思ったが、私は今天竺にいたのであった。天竺には新明解国語辞典はないのだよ。
しかたがないので、Wiki様からの御神託を請う事にした。
Wiki様によるとポンヌフとはThe Pont Neuf , French for the "New Bridge," だそうだ。New Bridge?新しい橋? あ~新橋だ! 
なんてこったい駄洒落じゃないか。

閑話休題。駄洒落にうつつを抜かすポンヌフは忘れよう。
駅蕎麦といえば、やはり品川駅構内の常盤軒だろう。品川駅構内および各プラットホームを占拠している常盤軒であるため、これもまた名前の通っている店だ。注目すべきは同じ品川駅内であるにもかかわらず各支店毎に特徴を持たせているところだ。掻き揚げを売りにしている常盤軒もあれば、カレーを売りにしているところもある。その中でも最も有名な常盤軒は、東海道線下りホームこと11-12番線の常盤軒だ。ここはすごい、駅蕎麦でありながらビュッフェ・スタイルなのだ。英語読みだとバッフェ・スタイルなのだ。
蕎麦屋でありながらフランス的なビュッフェ・スタイルとはどういう了見だろうと読者諸氏におかれては疑問を呈することとなろうが、安心してほしい。ほんとはビュッフェ・スタイルとは書いていない。
ほんとは「お好みそば お好みで好きな具材を好きなだけトッピング 380円」と書いてある。つまりは、ネギ、ワカメ、味付山菜、鰹節、魚天麩羅、天かす、きざみ油揚げなどなどの具材が入れ放題なのだ。新明解国語辞典第五版は7万6千項目の収録語数を誇ることで有名だが、私の辞書には「遠慮」という文字が収録されていない。お好きなだけトッピングと聞けば、これはもうたくさんトッピングする。蕎麦であるにも関わらずカキ氷のようなシルエットとなったところで、これもまた無料のゆで卵を一つ付けてもらう。出社前にこんなものを食べていては昼飯が喰えなくなるのだが、私の辞書には「計画性」という文字も収録されていない故、その時はあまり気にしない…が、朝、会社で気分が悪くなっていた。後悔先に立たずである。

閑話休題。常盤軒のことは忘れよう。
ほんとは、沼津駅、静岡駅などで営業する東海軒の蕎麦が好きなのだ。黒々とした関東風のつゆに見せかけ、イリコダシ入りの甘めの味付けで大変おいしい…と思ったが、これは別に東海軒の手柄ではないような気がしてきた、基本的に静岡の蕎麦つゆは少し甘めでおいしいのだ。シラスとか桜海老の産地でもあり、掻き揚げの具材も豊富なので、やはり蕎麦は静岡に限るようだ。

さて、蕎麦は静岡に限ると結論がでたところで本論文を締めくくろうと思うが、冷静に考えてみると。今回は蕎麦に関する考察ではなく続天竺的交通事情の回であった。このままでは、本論文を締めくくれないではないか。何故、蕎麦に関して語っているのだ。私よ。

じゃあ、こうしよう、実は天竺的交通事情は三部作であったのだ。
またの機会に「真天竺的交通事情」の回をやるので、そこで天竺の交通事情を語ろうと思う。だんだん「猿の惑星シリーズ」のような展開になってきたが、安心してほしい。欧米にはTrilogyという作劇方法があり、三部作の最終章では、必ずすべての謎が明らかになるというお約束があるのだ。

2008/09/24

昨日今日明日

件の市原悦子的メイドが天竺語の通訳として役立ってくれていると、いつか話したと思うのだが、今回は彼女の英語が摩訶不思議なことについて言及してみたいと思う。一応の会話が成立しているので、決して英語力がないわけではないのだが、どういうわけか時制がない。まぁ、文法的な時制であれば、汲み取ってやらぬでもないのだが、問題は単語的な時制がないので困る。つまりは、昨日、今日、明日という単語を憶えてくれないのだ。

今日は、
とぅだぁ~いなの。とぅっだ~いとスティーブ・ジョブスかジョージ・ブッシュばりの南部なまりで教えてやる。

とぅだぁ~いの前の日は、
いぇすただぁ~いなの。いぇすただぁ~いお~まいとあぶろしむそふぁえ~い。じょんなの、ぽーるなの、しょじょじなの、あおもりりんごなの。

とぅだぁ~いの次の日は、
とぅもっろ~うなの。とぅもっろ~う。るっくるっく、とぅぇっもぉぅろぉ~うぅ。気分はウィッキーさんだ。天竺にズームイン。天竺のぴえーるさ~ん。おお、またでやがったなピエールめ。

一方、知恵熱がでるのではないかと思われるほどの表情をうかべ懊悩の淵にたたきこまれる悦子。
そんなに悩むな。

  私 「ところで、部屋の掃除を頼んだ件はどうなっているのかね?」
悦子 「とぅもっろ~う!るっくるっく!」
  私 「るっくるっくは余計だ」

その後、なぜだかわからないのだが、今日、掃除をはじめる悦子。
甚だ困惑させられる毎日である。

JAPANESE/ENGLISH

2008/09/19

天竺で風邪をひく

ここ数年、風邪というものには無縁で過ごしてきた。
昔から「馬鹿は風邪をひかない」というので、ことによると私は馬鹿なんぢゃなかろうかと不安になっていたところだったのだが、天竺にやってきてからというもの度々病気に悩まされているので、どうやら私は馬鹿ぢゃないらしい。

よかった。

最初の症状は酷かった、体が火照り、体中の節々が痛んだうえ、嫌な脂汗がひっきりなしに滴りおちた。病院で診察を受けると「この薬を飲んで安静にしていなさい。次の日も同じ症状が続いたらマラリアの検査を受けたまえ」と言われた。こらドクター、恐ろしいことを笑顔で言うんじゃないと憤慨してみるも次の日にはケロッと直ってしまったので、命を救われた。それを笑顔でみていた私の上司も、2週間後に同じ症状に見舞われた。ざまぁみやがれである。この上司の偉いところは、土日に病気になることである。うまいこと仕事への影響をかわすのだ。運がよかっただけだからなと捨て台詞を残す私。

さて、またもや風邪をひいてしまった。咳、鼻水が止まらない。原因はわかっている。エアコンだ。オフィスだ。ただでさえ雨季で天竺は涼しいというのに、風邪をひいてしまうじゃないか、というかひいた。今回は、前回のように変な脂汗はでていないし、症状は軽いのだけれども、どういうわけか、なかなか直らない。ずっと咳き込むし、ずっと鼻汁がたらたらだ。しかたがないので、病院にいくことにした。

天竺病院なんてものは簡単なもんである。咳と鼻汁が止まりませんと症状を訴えると「これから五日間、冷たいものを食べないように」だそうだ。
なんなのだ、そのアドバイスは?そんなことは医者に言われなくとも百も承知である。もっとこう、ほら、医学的にないのかね。
「温かいスープを飲みなさい」だからそういうのじゃなくてですな。

もっとも「鼻の穴に葱を突っ込んで、正露丸を飲んで寝なさい」と言われても鯨飲するのは憚られるのではあるのだが。

医者から、鼻汁を止める薬、咳を止める薬、栄養剤をもらって帰途に着いた。

2008/09/04

天竺的交通事情

いつかリキシャの話をしたと思うのだが、天竺の交通事情はすごい。人口が世界第二位の国ということもあり、どこもかしこも交通渋滞だ。タクシーやリキシャは我先にと車体を押し込み、交差点は人々で溢れかえる。
混沌とした街頭を走り抜けるバスは外から眺めても、ギュウギュウのすし詰め状態だ。天竺人同士が鼻先八寸の距離で身を寄せ合っている。

いま、すし詰めという言葉を使ってみたが、考えてみれば変な表現だ。つまり、寿司というのはあんまりギュウギュウに入っていないような気がする。寿司の折箱の中身はスカスカで生姜だの短冊で割り増ししているように思うのだ。折箱の中にギュウギュウに寿司を詰め込む寿司屋があったら、それはとってもお買い得なような気がするわけで、大変いいことだ。そのような考察を踏まえるとギュウギュウのすし詰め状態という表現のネガティブな使用はしっくりこない。ネガティブな意味でギュウギュウ詰めを表現するのであれば、別の比喩にすべきではないかと思うのだよ。

たとえば、「ギュウギュウの吉牛状態だ」

どうだろう?しっくりいくのではなかろうか?吉野家の牛丼は、これはもう誰がなんと言おうとギュウギュウだ。寿司とは異なり、吉野家の牛丼がギュウギュウに詰まっていても、それはちっともお買い得感は醸し出されず、むしろ当たり前だ。比喩表現の意味的な見地からいっても、「ギュウギュウのすし詰め状態」という表現は用法的に誤りと思われるので、今後は「ギュウギュウの吉牛状態」という表現の使用を日本文学界に提言しようと思う。

しかしながら、提言は慎重でなければならぬ。なぜならば、この提言では松屋の立場がないからだ。ことによると、なか卯の立場もない。ランプ亭の立場はどうなる。秋葉原の牛丼専門サンボの立場はどうなるというのだ。
サンボなどは、アキバがまだアニメオタクに毒されていない純然たる電気街だった頃からある老舗なのだ。サンボを無視するわけにはいかんだろう。やはりここは「ギュウギュウのサンボ状態だ」で手を打つか。しかし、サンボは如何せん知名度が低い。我々が486時代にDOSV機のパーツを買いにアキバにいっていた頃は、そこそこ有名だったのだが、いまのアニオタはサンボに行くのだろうか?と自問してみるも、よく考えてみれば、アニオタの街になってしまったアキバには、私自身が近づかなくなってしまったので、どうでもいい話であった。サンボなんか無視無視。

閑話休題。
話を戻そう、ことほど左様にギュウギュウの吉牛状態の天竺バスであるため、私はまだ天竺バスを利用したことがない。なぜならば、天竺人でも天竺バスにのると財布がなくなったりするとのことで、外国人にとって天竺バスは大変危険なのだ。

さて、「大変危険なのだ」といったところでようやく本題に入ろうと思うのだが、本題に入る前の枕で今回も無駄にインターネットのトラフィックを消費してしまった。携帯だったら、1000バイトで1パケだ、枕の終了箇所である「大変危険なのだ」というところまでで1033文字ある。全角2バイト文字なので2066バイトの消費だ。2パケだ。

申し訳ない。

天竺的交通事情の本題は、また別の機会に話すとしよう。

2008/09/01

力車的寓話

私の家から職場まではリキシャが足となっている。
リキシャというのはバスのような乗り合いではなく、所謂タクシーのような個人貸切の乗り物である。

これが安い。職場まで10分の距離を一人で借り切る。さぁ、はうまっちょ?
1ルピー 2円でお考えください。
ユタ州バカにしないでよぉのあの時代の話であるが、今の若い人は、ご存じないかもしれない。巨ちゃんである。うっしっし。
正解は20ルピーだ。

どのへんが安さの秘密かと問われれば、オート三輪なのである。
オート三輪といえば、タクシーが円タクと呼ばれ東京都内どこまでいっても1円で乗れた時代に活躍したダイハツ・ミゼットを思い出していただければよい。
そう、あのすぐ転ぶ奴だ。歌謡界では笠木シズコがブギウギとかいってたあの時代の話であるが、今の若い人はご存知ないかもしれない。
無論、私も若いのでご存じない。

さて、ことほど左様に安いリキシャであるが難点もある。
雨が降ると動かない。乗車拒否。ぼられる。おおげさ。まぎらわしい。
日本であれば速攻JAROに訴えられそうなリキシャであるが、天竺であるためJAROはない。
よかったねリキシャ。

雨が降ると動かないというのは致し方ないとしても、乗車拒否だの、ぼられるというのは非常に困る。
人口の多い天竺であるため客はいくらでもおり、安い客は乗せなくても商売が成り立つということ、そして各リキシャは法人組織に属しているのではなく、個人であり、日割りのリースで車を借りて営業しているらしい。こうなると、クレームのだしようがない。
そんなわけで、外国人を見るといいカモが来たとボッたくろうとするから困る。

私の顔は外国人に見られるせいか、20ルピーの距離を平気で100ルピーだなどと言ってくる。
いくら私の顔が日本人離れしたフランス人に見えようが、彫刻のような造詣のギリシャ的好青年に見えようが、私は天竺に住んでいるのである。相場は知っているのだ。
5倍の値段をふっかけられて引き下がる私ではない。
いいか、わたしはピエールじゃないのだ。ムッシーじゃないのだよ。
100ルピーなんてありえないじゃないかと10分ほどやり取りをすることになる。
で、会社に遅れる。
それじゃ、いかんじゃないか、ピエール。
たのむぜ、ピエール。いかすぜ、ピエール。ところで、ピエールって誰?

JAPANESE/ENGLISH